35. デルフィ遺跡 アテネ人の宝庫、柱廊 [2016 ギリシャ・北京]
2016年4月27日(水)~5月5日(木・祝) ギリシャ旅行記
4月30日(土)
デルフィ遺跡の入り口から参道を歩き、奥へ奥へ進みます。
参道が右折するところにある「へその石」。
古代でのデルフィは、全世界の中心「世界のへそ」と
考えられていたようです。
アテネ人の宝庫。
1906年、フランスの考古学会が復元したもの。
アテネがマラトンの戦いでペルシャ軍に勝利した感謝のしるしとして
アポロンに捧げた宝庫とのこと。
当時は、こんな姿だったようです。
アテネ人の柱廊。
元々は7本の円柱によって木製の屋根が支えられていたようだけど、
現存するのは3本のみ。
紀元前478年に、サラミス島の海戦でペルシャに圧勝したときの
戦利品が並べられていたとのこと。
柱の装飾、美しいです^^
当時、アテネ人の宝庫と柱廊の間あたりには、1本の細長い円柱が
建っていて、ナクソス島の人々が奉納した大理石のスフィンクス像が
載っていたとのこと。
大理石のスフィンクス像は、博物館で見ることが出来ました^^
復元された石垣だけど、上手く積まれていますね~♪
アポロン神殿の柱が見えてきました^^
アポロン神殿の入り口前にある大祭壇。
きっと何かが載っていたであろう柱、これだけしかないと
返って気になり、色々想像してしまう・・・(^^;
斜面には、たくさんの土台。
像が立っていたり、柱廊があったりしていたようです。
つづく
4月30日(土)
デルフィ遺跡の入り口から参道を歩き、奥へ奥へ進みます。
参道が右折するところにある「へその石」。
古代でのデルフィは、全世界の中心「世界のへそ」と
考えられていたようです。
アテネ人の宝庫。
1906年、フランスの考古学会が復元したもの。
アテネがマラトンの戦いでペルシャ軍に勝利した感謝のしるしとして
アポロンに捧げた宝庫とのこと。
当時は、こんな姿だったようです。
アテネ人の柱廊。
元々は7本の円柱によって木製の屋根が支えられていたようだけど、
現存するのは3本のみ。
紀元前478年に、サラミス島の海戦でペルシャに圧勝したときの
戦利品が並べられていたとのこと。
柱の装飾、美しいです^^
当時、アテネ人の宝庫と柱廊の間あたりには、1本の細長い円柱が
建っていて、ナクソス島の人々が奉納した大理石のスフィンクス像が
載っていたとのこと。
大理石のスフィンクス像は、博物館で見ることが出来ました^^
復元された石垣だけど、上手く積まれていますね~♪
アポロン神殿の柱が見えてきました^^
アポロン神殿の入り口前にある大祭壇。
きっと何かが載っていたであろう柱、これだけしかないと
返って気になり、色々想像してしまう・・・(^^;
斜面には、たくさんの土台。
像が立っていたり、柱廊があったりしていたようです。
つづく
こちさの旅の記録(~2013)
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