21. 三内丸山遺跡 北の谷・北盛土・子どもの墓 [2016 青森]
2016年3月19日(土)~3月21日(月・祝) 青森旅行記
3月20日(日)
掘立柱建物跡をじっくり見学した後、また順路どおりに進みます。
北の谷(低湿地)。
縄文時代前期(約5,500年~5,000年前)のゴミ捨て場。
水分が豊富で空気から遮られていたので、通常は残らない動物や魚の骨、
種子、漆器や木製品、編み物、寄生虫の卵などの有機質の遺物が良好な
状態で出土したとのこと。
また、土留め用の杭列も見つかっているようです。
この写真では、まったく分からないけれど・・・(^^;
北盛土。
北盛土は、発掘された当時のまま展示されています。
一面に敷き詰められたような壊れた土器は、
縄文時代中期(約4,500年前)のものとのこと。
子どもの墓。
子どもの遺体は、土器に入れて、埋葬されたようです。
棺に使われた土器は、丸い穴が開けられたり、口や底が壊されていたり、
煮炊きに使用する土器とは区別されていたとのこと。
土器の中からは、こぶし大の石が出土した例もあるのだとか。
子どもの墓。
これまでに800基以上見つかっているようです。
土器の大きさから考えて、1歳未満の子どものお墓と考えられている
ようですが、人骨は出土していないとのことでした。
つづく
3月20日(日)
掘立柱建物跡をじっくり見学した後、また順路どおりに進みます。
北の谷(低湿地)。
縄文時代前期(約5,500年~5,000年前)のゴミ捨て場。
水分が豊富で空気から遮られていたので、通常は残らない動物や魚の骨、
種子、漆器や木製品、編み物、寄生虫の卵などの有機質の遺物が良好な
状態で出土したとのこと。
また、土留め用の杭列も見つかっているようです。
この写真では、まったく分からないけれど・・・(^^;
北盛土。
北盛土は、発掘された当時のまま展示されています。
一面に敷き詰められたような壊れた土器は、
縄文時代中期(約4,500年前)のものとのこと。
子どもの墓。
子どもの遺体は、土器に入れて、埋葬されたようです。
棺に使われた土器は、丸い穴が開けられたり、口や底が壊されていたり、
煮炊きに使用する土器とは区別されていたとのこと。
土器の中からは、こぶし大の石が出土した例もあるのだとか。
子どもの墓。
これまでに800基以上見つかっているようです。
土器の大きさから考えて、1歳未満の子どものお墓と考えられている
ようですが、人骨は出土していないとのことでした。
つづく
こちさの旅の記録(~2013)
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